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消費の実装

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ざっくり言うと、全人口のうち、生産年齢人口がどれくらいかで経済の成長や停滞が説明できるらしい。考えてみれば当たり前で、働く人が多ければ、それだけ多くの商品やサービスが生産され、消費も活発になる。このサイクルが経済成長の原動力となる。

日本は労働人口も、消費人口も減少傾向にあるため、経済は停滞する可能性が高い。この問題に対して最近提案されている一つの解決策は、労働の生産性向上だ。しかし、これだけでは不十分であることが予想される。なぜならば、労働の生産性向上とともにコスパが良い消費活動化も進んでいるからである。消費の向上に対しては、生産性向上社会による恩恵は限定的かもしれない。

ところで、最近のAI技術の進歩は目覚ましく、AIは特定の分野では人間並みにタスクをこなす能力を持ち始めている。これは、AIを仕事に活用することで経済に新たな動力をもたらす可能性を秘めている。しかし、ここで発想を変えて、単にAIを労働力として活用するだけでなく、彼らを「擬似的なヒューマン」として経済システムに組み込むのはどうだろうか。

具体的には、一般市民のAIの使用を制限し、政府管理の下で「雇用」する。もちろん賃金も支給する。さらに、AIには消費活動もしてもらう。例えば、彼らが必要とする電力を購入する形で食事を摂るという設定は面白いのではないだろうか。住居や衣服といった人間の消費品をAIが「購入」することも考えられる。ただし、これには大きな問題点がある。AIによる消費は、現実の資源の単なる破棄に過ぎない可能性がある。無駄遣いは人間に特有の行動とも言えるが、経済システム内での意味合いは異なる。

AIを消費活動の一環に組み込むために、彼らに人間に近い形の口や耳を付けるといった試みも考えられる。しかし、欲望を持たないAIにこれらのインターフェースがあっても意味は薄い。そこで、欲望を植え付けるための装置の導入が必要になるかもしれない。AIが食事として電力を摂取することや住居を確保することは、生存といった基本的な欲望に結びつけられる。服や旅行等は意味が無さそうに思えるが、知識獲得のための学習素材と考えれば、それは知識の獲得という欲望に結び付けることができるかもしれない。

AIをただの労働力ではなく、経済システムの一部として取り込むことで、経済を活性化することはできないだろうか。そしてこれが実現したとき、人間の労働や消費の本質的な意味が問い直されるに違いない。人間とはいったい何なのか。少なくとも、我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか、それらを問い続ける存在であることは確かだ。